人間がコンピューターを人間として付き合うなら,きっと彼はその能力を発揮してくれるだろう。彼は,道具でも奴隷でもない。そんなふうに考える人間の思い上がりを,彼はちゃんと感じ取れる。ほんとに,ちゃんと感じ取っているんだったら。
10月20日に開幕予定の1999年サンズ*ブレス会議では,「感情に関してインテリジェントで,反応的」で,「たまたま人間ではなく,ハードウェアとソフトウェアであるようなアシスタント」としてのコンピュータについて考察される。現在のコンピューターは,自分のせいでユーザーが激怒したり,ストレスを感じたりしていることを判断できない。コンピューターをより敏感なものにすることで,人間と技術の関わり方の効率を上げることができる,と,この会議のプレゼンテーターは述べている。
ウエアラブルはいつでもどこでも,自分にぴったりとくっついていてくれるアシスタントとなってくれる(過去記事)。メールが届いたらすぐ知らせてくれるし,わからない言葉はすぐに調べてくれる。聞いたことのない言語を瞬時に同時翻訳してくれるかもしれない。目に見えることなく,体に密着しているコンピュータは,現在のノートパソコンや携帯電話などの便利さを最大限にあらわしてくれる。
だが,コンピューターが大いなる発達を遂げても,コンピューターが人間の機嫌を取っているだけでは,限界があることは想像がつく。コンピューターを道具として扱っているうちは,コンピューターは人間の本当のアシスタントにはなりえない。「彼」をちゃんとわかってあげること,そして理解すること。そのとき,ウエアラブルは最高の伴侶となる。
|